「すべてを与えられし者」の最終形態
先日こんなツイートをしたら思った以上に賛同する方が多かった。
今住んでるエリアの専業主婦の方々、
— 長谷ケイ (@no_sleeping_mom) July 12, 2021
子育てレベルの高さとか、美しさとか、優雅さとか、性格の良さとか神レベルで後光が差して見える人がいるんだけど、菩薩なのか??
公園に行くと
- 美しく
- センスがよく
- 物腰柔らかで
- 子供へのもマリア様
- そして他人にも優しい
ってな感じの菩薩系ママに遭遇することがある。
着飾ってる人達ともまた違う。
明らかに住んでいる世界が違うのに、1mmも気取らないので同じ世界の人だと誤解しそうになる。
なんであんなに良い人達なんだろう?心の余裕・・?
・・・が、考えてみれば、これは専業ママ云々以上に、「すべてを与えられし者」の最終形態なのだと思いあたった。
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会社員だった頃、一緒に仕事していた女性を敬愛していた。
彼女は全く偉ぶらないので、私のようなペーペーとも付き合う。
が、なにげない話の端々に「超アッパー層なご家庭で育ったのだな・・・」と推測せざるを得ないエピソードが出てくる。
細かく書くと身バレするので割愛するけれど、「そんな経歴、アメリカのテレビドラマでしか見たことないよ???」という超・才女。
幼少期の恵まれた環境も、努力の末に自分で獲得した立派すぎる経歴も、決して人にひけらかさない。でも、漏れ出てしまう。
例えばランチ中に夏休みの話になって、彼女がためらいがちに「ちょっとお友達の別荘に行ってきた」というので写真を見せてもらうと、その別荘というのは"スーパーエリート元同級生が世界展開するホテルのバリでのオープニングセレモニーだった"みたいな世界観。隠しても隠しきれない。
そして、「ノーブレス・オブリージュ」という言葉は彼女のためにある言葉だなと思うような、他人への親切さと優しさの美女・・・。
そんな彼女と話すたびに「神よ、あなたは彼女に何物を与えたのですか」と思っていた。
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私自身は普通のサラリーマン家庭育ちなのだけれど、学生時代通っていた学校には裕福なご家庭や政治家の娘も多かった。
その中には日本国民全員が知っているであろう会社の社長の娘とか、「度肝を抜かれるご家庭の子」というのがいた。
彼女達は決して自分の親の立場をひけらかすことはなく、むしろバレてしまうのが嫌だったようで「私と親は関係ありません」というスタンスでひっそりと暮らしていた。
「今日のお弁当の牛肉は100g○○○○円」と自慢したとかしていないとかで隣のクラスまで失笑を買っていた子がいたけれどそれはスーパーレアケースで、とんでもない子女ほど静かにしている。
キムタクの娘が学校で「私のパパはキムタク」とは言わないだろう。多分それと同じ。
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先程の菩薩系ママも、私が敬愛する職場の女性も、学生時代の同級生も「すべてを与えられし者」なのだけれど・・・。
彼女達の感じ良さ・性格の良さは「余裕からくる安心感」がベースにあるのだろうけれど、「妬みから身を守るため」の防御策もあるのかもしれない、と思う。しかも、自覚なしの。
世の中には一定数、他人の成功を嫉妬したり、妬む人がいる。
ひけらかせばひけらかすほど、妬みというものを買うことになってしまう。
そして、「持てる者」ほど些細なことで批判と反感を買ってしまう。
だからこそ、「ナチュラルボーン・すべてを与えられし者」の最終形態は謙虚に、見せびらかさず、ひっそりと、感じよく暮らしていく、ということなのかなと。
彼女達はときに自虐を交えたりするので、マウントを取るどころか小さく見せよう・普通に見せようしている。
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一方でセレブライフを売り出している人達もいる。デ○婦人やインスタで富や美を見せつける人達のように。
彼女達は妬みを持たれるであろうことは知りつつ、そういうものを蹴散らす強さがある。
私自身は、そういう打たれ強さも好きだ。並の人間には真似出来ない。
「普通の人」が辿り着かないような悩みのある世界・・・どちらの彼女達も、そういう世界にいるのかもしれない。