34歳のミドルエイジ・クライシスと浮気願望?

先日、結婚7周年を迎えた。

 

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夫は大好き。めちゃくちゃ善人で、かっこよくて、面白くて、この人以外にないと思っている。

 

・・・なので、他の既婚女性から漏れ聞こえてくる恋愛願望とか「私は女としてこのまま終わるのかなと思うと寂しい」といった声は正直、全く分からなかった。

 

私の中に1mmもそんな願望は沸かなかったから。

 

そうして7年過ごしてきた。

 

ところが。

 

ここ数日ほど、「私は女としてどうなんだろう」「私はまだ”アリ”なんだろうか」と頭に浮かんだ日があった。

 

きっかけは3つあると思う。

 

1.子供の手が少し離れる

1つは、めちゃくちゃに手がかかって死にそうだった子供達のお世話が、ほんの少しラクになったと感じるから(だいたいこういうのは一瞬の勘違いに過ぎないのであまり信じない法がいいのだけどw)。

 

人は死にそうなときには「自分は女として/男としてどうなんだろう」なんて思わない。

 

「自分は女として/男としてどうなんだろう」なんてことを考えることが出来るのは一種の贅沢であり、暇なのだと思う。

 

 

2.夫との距離

もう1つは、ここのところ夫の仕事が忙しくてあまり会話をする時間がなかったということ。

 

険悪なわけでもなんでもないけれど、なんとなく、好きな人とあまり話せないというのは少しさみしいし、同居人感が出る。

 

ましてや「パパ・ママな関係性」になってしまうと女心は揺れ動くものなのかもしれない。

 

 

3.年齢を感じる事象が発生する

そして最後は、ミドサーという自分の年齢を意識するようになったから。

 

コロナ禍で1年程ほとんど友人にも会わなかったのだけど、ここ最近、中高時代の友人や職場の元同僚などにばったり会った。

 

ステイホームな1年の期間を経て会う彼女達の目元に、うっすらとしたシワが。

 

シワがあったところで彼女達の美しさが損なわれたと思ったわけではないのだけれど・・・。

 

それでも初めての驚きだったので脳は情報として捉えていて、「私ももう少ししたらシワが出現するのかな・・・」なんてことを無意識のうちに考えていた。

 

生物としての生殖適齢期のピークは過ぎようとしている。

 

子供を産んで随分と変わった身体。

 

最近まで婚活うんちゃらのメンドクサさを見ては「恋愛市場から完全に足を洗って解脱(げだつ)出来てよかった」とすら思っていたけれど。

 

このままで一生終わるのか?

 

 

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これが、ミドサーにして初めて感じたミドルエイジ・クライシスというやつか??

 

中年の危機とは、中年期特有の心理的危機、また中高年が陥る鬱病不安障害のことをいう。ミッドライフ・クライシスMidlife crisis)の訳語であり、ミドルエイジ・クライシスMiddle age crisis)とも表記される。

中年期は働き盛り、熟年とも呼ばれ、1960年代までは人生の最盛期として認識されてきた[1]。1970年代より発達心理学では、中年期を大多数の大人が経験する人生の一つの段階として研究が進められ、臨床心理学などを含めて「中年期危機」という用語が用いられるようになった。

中年の危機は30代後半から40代にかけての中年の入り口で体験される他、現役引退期にも訪れやすい[1]。しかし2020年現在では30代でも若手や青年などと扱われることが多く、逆に30代を中年中高年と呼ぶ人は少なくなった為、入り口と呼べる年齢に制限は無い状態にある。

 中年の危機 - Wikipedia

 

先日Frauや文春オンラインの記事で「女性向け風俗」というものの存在を初めて知ったのだけれど、利用者は43歳が多いらしい。

 

利用者40代が既婚か未婚か子持ちかDINKSか統計は誰にも分からないけれど、スパッと快楽を求めるというよりは揺らぐアイデンティティに不安を持って足を踏み入れるのではないか。ただの推測だけど。

 

自分が「女としてアリ」かどうかを他人に評価されるなんてくだらないと思うけど、一方で「男女」となると相手があるのは避けられないこと。

 

自信があれば自己評価で十分だけど、ふと疑問を持ったときこそ他己評価に頼りたくなるのだ。

 

絶望するかもしれないと思いつつも。

 

しかし、おカネを払った相手なら絶望させられる危険性は少ない。

 

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日本では、「母親/40代前後が恋愛するなんてはしたない」というか「気持ち悪い」という感覚があるのではないかと思う。

 

「母親になる」という門をくぐったら「女」という世界には戻って来られない。

 

子供がいる人がネイルをするのはアカンとかおしゃれをするのはアカンという人も未だにいるが、それらは「母親ではなく女がすることだから」なのだろうと思う。

 

フランス女性の生き方的な本を読んでいるとよく出てくる「生涯現役」みたいなカルチャーからすると、いくつかのアイデンティティを殺して生きるという生き方はかなり息苦しい気もする。

 

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数日ほど浮かんでいた「私は女としてどうなんだろう」「私はまだ”アリ”なんだろうか」という疑問はもう消えたけれど、思春期同様に身体が変化してく中年には同じようなことをまた思うのだろうか。