「持ってる能力を使わないのはもったいない」

少し昔のちきりんさんのツイートにどきりとした。

 

 

私はまさに「持ってる能力を使わないのはもったいない」で生きてきた人間。

 

そして、周りの人に対しても「持ってる能力を使わないのはもったいない」と思う。つまり、ちきりんさん的には下世話な人間だ。

 

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まずは他人に対して。私がおせっかいと知りつつ一番「もったいない」と感じるのはだいたい、ファッションなりインテリアなり、ものすごくセンスがいい女友達に対して。

 

(因みに人様に向かって「もったいない」とは言わない。思うだけなら自由のはずだが人様の生き方に向かって「もったいない」は失礼というのは私も同意。)

 

今の時代、インスタとかブログでそういうセンスの良さを発信すれば多くの人の目に留まり、仕事などの新しいチャンスにつながるだろう。

 

考えてみればこれは私自身が「他己評価」で生きているからなんだろうな。

 

「才能があるのだから、他人が認めてくれるんだから、仕事になるのだから、お金になるのだから、インスタやブログに時間を捧げて才能を活かすべし。」

 

だが、おそらく他己評価が気にならない人にとっては私のこの提案は一笑に付すべきものだろう。

 

ただ、女性に関しては未だ、結婚や子育てを機に家庭に入って社会とのつながりを断たれてしまう人も多い。

 

本人の「才能を活かしたい」という意思の有無はともかくとして、社会のために生かされたかもしれない才能が埋もれている現状を観ているので、「もったいない」と勝手に悔しい気持ちになるのかもしれない。

 

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一方、あまり他人に対して「もったいない」と思わないのは前職や経歴を生かさない形の転職だ。

 

会社員から保育士、会社員からカフェ経営、会社員から職人etc...

 

なんでもいいけど、この手の転職だって「これまでにやってきたこと(持ち札)を生かしていない=もったいない」のはずなのに「もったいない」とは思わない。

 

むしろこれは

 

会社員時代の仕事=ライスワーク

 

新しい仕事=本当にやりたかったことや才能があること

 

という想像がベースになるのだと思う。

 

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一方で。

 

前職や経歴を生かさない形で転職するとなると、ものすごい勇気が必要になる人が大半じゃないだろうか。

 

私自身はA業界→X業界→A業界→Z業界という感じで遠く離れた業界をまたいだ転職をしたことがあるけれど、未だに最初のA業界への未練が捨て去れないし、A業界からオファーが来ることに安心感を感じる。

 

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「もったいない」は非常にやっかいな言葉で、エコといえばエコだけれど、モノに対しても「もったい」を連発しすぎると苦しいことになる。

 

例えば家がゴミ屋敷になったり好きでもないモノに囲まれて我慢して暮らすとか・・・。

 

キャリアや才能に関する「もったいない」も、過去を手放せずに新たな挑戦や可能性を閉じてしまう危険性がある。

 

 

よく言われることだけれど、持っているものを手放さないと新しいものは入ってこない。

 

 

とはいえモノならまたお金を差し出せば手に入れられるけど、持っている能力や才能は手放すのには勇気がいる気がする。

 

「能力=(仕事や社会や他人のために)活かすべき」というのは何かの刷り込みなんだろうか。

 

能力を自分のためだけに活かすのは最高の贅沢なのかもしれない。