「中高年男性の孤独」と「中高年女性の交友関係」の差ってなんだろう

先日、Twitter中年女性に中年独身男性のケアを求める投稿が話題になっていました。

私自身は「なんで中高年女性が結婚しない男のケアまで求められなきゃならないんだ・・・」と絶望感を感じましたが、確かに高齢女性と高齢男性を比較すると、概して女性の方が友達とワイワイやってるケースが多いですよね。※高齢男性でもお酒飲んで談笑するのが好きな人は別ですが。

「中高年男性の孤独」と「中高年女性の交友関係」の差ってどこで生まれるんだろうと考えていました。

子供を持つ女性は強制的にコミュニケーション力を鍛えられる

私自身も母親になって初めて気がついたのですが、子供といるととにかく話しかけられる!

最初の挨拶が「母乳?」という見知らぬおばあちゃん、「元気に成長しろよ」と言ってくれるおじいちゃん、「ジャマだ」と高圧的なおっさん、「かわいい!」とニコニコしてくれる学生etc....

良くも悪くも社会に対して【むき出し状態】になるというか、とても多くの人と触れ合うことになります。子供と出かける男性もいますが、父親もここまで話しかけられるものなのでしょうか・・・?

そして、先日公園で知り合いになったママ友さんが出来たのですが、この度彼女の家に遊びに行くことになって、今はその距離感を推し量りつつ何を持っていくか、どんなコミュニケーションを取るか、頭をひねっています。

流動性のある交友関係の中で生きる

住んでいる地域が同じという以外の共通点のない公立小学校に上がればきっと様々な親がいて、みんな教育目標や期待するものや思考や職業や年収や何もかもが違う中でお付き合いをしていく必要があります。

見知らぬ人とのコミュニケーションというのはある意味ではストレスですが、良くも悪くもこれを強制的にやらざるを得ない環境に置かれるのは現在の日本では多くの場合、母親だと思います。

 

「女の子の方が対人スキルに長けている」とされがちですが

 

子供を持った母親:

もともと対人スキルの高い女性が子供を持つことでさらに強制的にコミュニケーション力を鍛えられる環境に置かれる。

会社勤めのモーレツサラリーマン:

「会社の中・上下関係がある・共通言語がある」というコミュニケーションの中で暮らす。

 

・・・という違いを経て、中年になる頃には男性と女性の孤独の差というのが埋めようもないものになっていくのかなと思いました。

交友関係の流動性が低い日本人

うちの夫(中南米人)は本人いわく「コミュ障 (※コミュニケーション障害)」という割に、初めて会う人とのコミュニケーションに慣れている感じがしています。

これ、なんでだろうとずっと考えていたのですが、中南米の人達は友人と集まろうというときに「友達の友達」とか「友達の弟」とか「友達の弟の友達」とかよく分からない人まで突然来たりしてみんなで遊ぶのが普通。日本人として最初は面食らいました。

でもこれ、日本ではあまりやらないですよね。

例えば、高校の同級生と会う時はそのグループだけで、そこに会社の同僚とかは連れて行かないし、例えば女友達の家に遊びにいくにしても旦那さんがいない日にしたり、在宅だとしても挨拶だけで積極的には交流しないケースが多い気がします。※人によりますが。

何歳になってもコミュニケーションスキルは鍛えられる

同じ文化やバックグラウンドや思想を持った者同士で集まるのは楽しいしラクです。

が、なんとなく自分が硬直化した/流動性の少ない組織の中にいるなと感じたとき、意図してそこを出るか、それ以外の交友関係を持つように心がけることで、コミュニケーションスキルは何歳になっても磨くことが出来るのではないかと思います。訓練だね、訓練。