「可愛くなった」と言う日本人男性の心理が分からない

お久しぶりです。

 

最近言われて思い出したのが

 

「可愛くなった」「きれいになった」

 

という謎の日本語。

 

本日はこれと日本人男性についての、どーでもい考察。

 

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最近、「可愛くなった」「どんどん可愛くなる」とある男性に言われた。

 

正直、私はこの日本語が昔からよく分からない。

 

英語・スペイン語・ロシア語・中国語・イタリア語と語学をかじりすぎたせいなのか

 

「過去との比較の話か・・・ってことは過去がひどかった?」

 

「「どんどん可愛くなる」っていうのはこれは未来完了形であって、現在の話をしているのではないのか」

 

みたいなことを考える。

 

※コミュニケーションの基本は対話なので一応本人に確認してみたら、「褒めてる」とのことだった。

 

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遡ること10年。

 

20代の頃も一時、「きれいになった」と人からよく言われる時期があった。

 

取引先のアメリカ人の男性+私の上司+私の3人で客先に出張に行ったときのこと。

 

客先の日本人男性が「ケイさん、きれいになりましたね」と言った。

 

隣にいた私の上司が訳してアメリカ人に伝えた(※彼は少し日本語が分かる)ところ

 

"WHAT!?"

 

と言ってお腹をかかえて大爆笑していた。

 

"You became beautiful"と訳したらしい。

 

訳がちょっとおかしい。

 

けれど、アメリカ人の爆笑ポイントは「きれいに"なった"ってそれ、昔がひどかったみたいで、超絶失礼だろwww」ということだったらしい。

 

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「可愛くなった」「きれいになった」と言われても、褒められているのか褒められていないのか、よく分からない。たぶん、ポジティブな意味だというのは分かる。

 

日本人男性というのはストレートに褒めることが恥ずかしいのだろうか。

 

スペイン語圏の男性なら"You are beautiful"の一択だ。他にチョイスはない。

 

それに比べて「きれいになった」「かわいくなった」というのは、話者の真意が曖昧で、

 

・過去と現在の比較の話をしているので、話者が相手をどう思っているのか曖昧。

 

・なんだか第三者的に批評しているように聞こえる。

 

・「いやいや、"綺麗ですね"とは言っていない」と言える逃げの余地がある。

 

という不思議な日本語。

 

 

日本語は便利だ。

 

「持ってる能力を使わないのはもったいない」

少し昔のちきりんさんのツイートにどきりとした。

 

 

私はまさに「持ってる能力を使わないのはもったいない」で生きてきた人間。

 

そして、周りの人に対しても「持ってる能力を使わないのはもったいない」と思う。つまり、ちきりんさん的には下世話な人間だ。

 

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まずは他人に対して。私がおせっかいと知りつつ一番「もったいない」と感じるのはだいたい、ファッションなりインテリアなり、ものすごくセンスがいい女友達に対して。

 

(因みに人様に向かって「もったいない」とは言わない。思うだけなら自由のはずだが人様の生き方に向かって「もったいない」は失礼というのは私も同意。)

 

今の時代、インスタとかブログでそういうセンスの良さを発信すれば多くの人の目に留まり、仕事などの新しいチャンスにつながるだろう。

 

考えてみればこれは私自身が「他己評価」で生きているからなんだろうな。

 

「才能があるのだから、他人が認めてくれるんだから、仕事になるのだから、お金になるのだから、インスタやブログに時間を捧げて才能を活かすべし。」

 

だが、おそらく他己評価が気にならない人にとっては私のこの提案は一笑に付すべきものだろう。

 

ただ、女性に関しては未だ、結婚や子育てを機に家庭に入って社会とのつながりを断たれてしまう人も多い。

 

本人の「才能を活かしたい」という意思の有無はともかくとして、社会のために生かされたかもしれない才能が埋もれている現状を観ているので、「もったいない」と勝手に悔しい気持ちになるのかもしれない。

 

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一方、あまり他人に対して「もったいない」と思わないのは前職や経歴を生かさない形の転職だ。

 

会社員から保育士、会社員からカフェ経営、会社員から職人etc...

 

なんでもいいけど、この手の転職だって「これまでにやってきたこと(持ち札)を生かしていない=もったいない」のはずなのに「もったいない」とは思わない。

 

むしろこれは

 

会社員時代の仕事=ライスワーク

 

新しい仕事=本当にやりたかったことや才能があること

 

という想像がベースになるのだと思う。

 

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一方で。

 

前職や経歴を生かさない形で転職するとなると、ものすごい勇気が必要になる人が大半じゃないだろうか。

 

私自身はA業界→X業界→A業界→Z業界という感じで遠く離れた業界をまたいだ転職をしたことがあるけれど、未だに最初のA業界への未練が捨て去れないし、A業界からオファーが来ることに安心感を感じる。

 

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「もったいない」は非常にやっかいな言葉で、エコといえばエコだけれど、モノに対しても「もったい」を連発しすぎると苦しいことになる。

 

例えば家がゴミ屋敷になったり好きでもないモノに囲まれて我慢して暮らすとか・・・。

 

キャリアや才能に関する「もったいない」も、過去を手放せずに新たな挑戦や可能性を閉じてしまう危険性がある。

 

 

よく言われることだけれど、持っているものを手放さないと新しいものは入ってこない。

 

 

とはいえモノならまたお金を差し出せば手に入れられるけど、持っている能力や才能は手放すのには勇気がいる気がする。

 

「能力=(仕事や社会や他人のために)活かすべき」というのは何かの刷り込みなんだろうか。

 

能力を自分のためだけに活かすのは最高の贅沢なのかもしれない。

 

親の「よかれと思って」の厄介さ

 

我が家の娘、踊るのが好き。観ているとなかなかうまい。

 

が、それを観た母がナチュラルに「ダンス系行かないように、お勉強の方に行かせないと」と言って「ああ、これだよな。」と胸がチクリと傷んだ。

 

※言うまでもなく、子供の勉強に熱心な人を批判してる訳ではありません。

 


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私の親はいわゆる教育熱心な親で、今でいう佐藤ママ(※)に負けず劣らずの実績を出している。

 

※子供4人が現役で東大医学部に合格した人。

 

ただ、「好きな物を禁止されるとか、親の認めるものしか出来ないとか、結構しんどい」というのが子供の本音でもあったりする。

 

 

 

私自身、一番にやりたかったことは、ことごとく遠ざけられてた。

 

数十万円するピアノやフルートは「昔からお金を積み立てていた」ということで買い与えられたが、どうしても欲しかった色鉛筆や油絵の絵の具は却下。

 

お金の問題ではなく、「親が望むものか否か」の問題である。

 

高校の授業でいくつか選択制の授業があり、そこで美術を選択しようとしたら却下。

 

美大に行きたかったが猛反対。

 

美大ではない”普通の大学”に行くことになったけれど、心理学や哲学を学びたいと言ったらそれも却下。

 

真にガッツのある人なら親の反対など振り切って自分の好きなことを追求するのだと思うけれど、小さい頃からそんな調子だと親が許可したものしか選択出来なくなる。

 

結局、他人の目を気にしないフリをしつつも「”周り”がどう思うか」が自分の選択基準になってしまった。

 

なので、「やりたいことをしなさい」というタイプの親がいることを知って高校の時に衝撃を受けた。

 

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世の中には大学に行かせてもらえない人も大勢いる。進学のチャンスすら与えられない人もいる。

 

なので、大人になった今となっては、奨学金もなしに大学に出してくれて、それだけで大変ありがたいことだとわかる。

 

これといって飛び抜けた才能がない一般人にとっては勉強や学歴が一番つぶしが効く、オールマイティーな能力だから、学力はあるに越したことがない。

 

ゆえ、親を批判する気持ちにはなれない。

 

そして、「自分の価値観にそぐわないことは子供にやらせたくない」という気持ちは誰でも持ちうることで、多かれ少なかれ皆持ってるよな、とは自分にも思い当たる。

 

娘はかわいいし踊りも好きだし、もしかしたらアイドルに憧れたりするかもしれないけれど、諸手を挙げて賛成とは言えない自分。

 

子供がアイドルになったら嬉しい♪というご家庭もあるだろうけど、我が家は反対するor反対するように仕向ける気がする。

 

その点、ちきりんさんもブログで紹介していた世界的プロゲーマーの梅原大吾さんのご両親の胆力というのは凄まじいと思う。

 

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

 

お父様も自らの親からやりたいことを反対されたので「子供には好きなことをやらせる」という方針だったらしい。

 

が、梅原さん自身も推測している通り、学校も行かずにゲームに没頭する(しかもかなり辛そう)というのを容認するのには、かなりの忍耐力と子供への信頼を試される。

 

 

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「よかれと思って」「あなたのために」というやつは難しい。

 

野球が大好きな子がいて、もしかしたら第2のイチローのごとく活躍したかもしれないのに、親の信じる「良い未来」が「良い大学に入る」だったら・・・。

 

逆も然りで、本当なら東大医学部に入るような能力がある女の子の、親の信じる「良い未来」が「女の子は結婚して家に入ること」だったら・・・。

 

「良い未来」は世代的な違いもあるし、子供によっても違う。

 

子供への愛ゆえの信念だからこそ、「親の考える理想の未来と子供が望む未来がどうやら違いそうだ」と気がついたときに、路線変更出来るか。

 

親に問われる自己変革と、難しい判断。

 

夫と話していて、「絵やダンスやスポーツで活躍するという「プランA」も応援するけど、学生のうちは「プランB」として勉強も頑張りなさい」というスタンスでいこう、という結論になった。

 

なんにせよ、子供の人生から好きなものを取り上げる必要はないのだ。

2980円で買えるあなたの幸せ

2980円で買える幸せがある。

 

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いい時代になったもんだなと思うのが、本当に少額で色々なことを始められるようになったこと。

 

 

例えば2980円で買える100本のペン。

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届いたとき、泣いてしまいそうになった。

 

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子供の頃、こういう沢山の色が入った画材が欲しかった。

 

親が50色入りくらいの色鉛筆を買ったのだけど、子供には使わせてもらえなかった。親も結局あまり使わず、20年くらいは経った今でも実家にある。

 

子供に使わせたくなかった理由、今となっては気持ちはわかるんだけどね・・・

 

 

50色の色鉛筆は触らせてもらえず、

憧れ続けた油絵の絵の具がほしいと言っても却下され。

 

 

こういうものが、本当に本当にほしかった。

 

 

絵を描くのを完全にやめて、こういうものを見ないようにして。

 

 

Amazonでたった2000~3000円で売られているの、知らなかった。

 

 

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あなたが子供の頃に欲しくてたまらなかったもの、

 

手に入れたら泣いてしまうようなもの、

 

いつの間にか、簡単に手に入れられるようになっている。

 

 

 

それは「なんちゃって」な商品かもしれないけど、最初の一歩はそれでいい。

 

自分の子供にも気軽に触らせることだって出来る。

 

 

 

いつかはみんな死んでしまう人間。

 

気軽に取り組んでみたらいい。

日本語の二人称難しすぎ問題

前から思っていたんだけど、日本語の二人称ってめちゃくちゃ難しくないか??

 

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英語の「You」はとんでもなく便利な二人称だと思う。どんなシチュエーションでも失礼がない。

 

Your majesty(陛下)とかMr. President(大統領閣下、くらいの意味)くらいしかバリエーションがない。99.9%はどんな相手でもYouで対応可能。

 

それに比べて日本語はどうだ?

 

「あなた」という二人称はあるけど、夫婦や家族や友人間でもなければほとんど使うことはないだろう。

 

つまり、「あなた」=とても身近な人の間でのみ使われる言葉。

 

よって、初対面や相手の名前が分からない場合には、別の二人称を使わなければならない。



それはときによって、「お客様」だったり、「お母さん」だったり、「先生」だったり。

 

二人称には何かしらの対象との【関係性】が入る余地がある。

 

ただでさえ使いづらい「あなた」にすら、「貴様」「てめえ」「あなたさま」etcのバリエーションがある。文章だと「貴殿」「貴女」。。。えっと他にも?

 

日本語、カオス。難しい。

 

 

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なぜこんなことを急に言い出すかと言うと。


今住んでいる地域の子連れ女性、

  • お母さんなのか
  • めちゃ若々しいおばあちゃんなのか
  • シッターさんなのか

 

分からなさすぎて、会話が難しいことが多々あるから。

 

普通に「お子さんかわいいですね」と水を向けて親なのか祖父母なのか探ることも出来るが、「私、シッターなんです」と言われた場合、その後の会話をどう続ければいいのか分からない。

 

二人称を避けて話すことも出来るし、みんな一度は相手の素性やバックグラウンドが分からず二人称を省略したこと、あるのではないかと思う。今さら名前聞けない!とか。

 

でも、なんか気まずい日本語になるよね?

 

You、めっちゃ便利じゃない?

 

Youは何しに公園へ?

ハロウィンと恩送り(ペイ・フォワード)

昨日はハロウィン。

 

4歳の娘と一緒に、保育園のイベント&練り歩きに参加してきた。

 

「え、ハロウィン?めっちゃゴミが出る日でしょ?」

 

と冷めた気持ちで見ていた私。

 

が・・・

 

「ハロウィンはものすごいイベントだ」ということに生まれて初めて気がついた一晩だった。

 

私、何かずっと継続しているイベントや行事があると「これって文化人類学的にはどんな意味があるんだろう?」と考えてしまうのだけれど

 

そういう意味で、「ハロウィンは商業的に優れたイベント、かつ、恩送り(ペイ・フォワード)」という結論に至りましたので、その経緯を。

 

ハロウィンの商業価値

まず、誰がみても分かりやすいのはハロウィンの商業価値。

 

元々の由来はともかく、宗教的なイベントというより商業的なイベントのイメージがありますよね。

 

開催側も参加する側もオイシイ&楽しいイベントなのでこんなに広まったのだろうなと。

 

まずはコスチュームを売ったり、飾りやハロウィン限定の商品を販売して多少、売上を伸ばせる。

 

・・・と、ここまでは最近どこでもやっていること。寿司屋までハロウィンの時代!

 

が、ある商業施設と商店街のハロウィンでは様々なお店で、trick or treatと訪ねてきた子供にお菓子を配っていました。

 

子供がもらえるのは飴1つやチョコレート1つ。それでも子供が喜ぶこと!

 

店舗側からするとそれなり数のお菓子を用意することになるのだろうけど、飴1つ/一人でいいのなら、1000円もあれば十分すぎるほどの量を用意出来ることでしょう。

 

飴をもらって狂喜乱舞する子供たちを見守る親の身からすると、

  • お、こんなお店があったのか。今度行ってみよう
  • ○○さんの好みに合いそうだから教えてあげよう
  • 子供に優しく対応してくれてありがたい。今度お茶でも買わなきゃ

という感じで、普段行かないお店との接点が出来る。

 

費用対効果を考えると宣伝効果はバッチリ。

 

話は変わるけど、食事を注文すると子供にジュースをくれるお店が近所にある。

 

ジュース代は原価で言うと数十円だが、優しい店員さんの魅力も相まって子供がいつもその店に行きたがり、○万円支払ったな(死)というレベルで通っているところがある。

 

親を制したければ子を制せ、である。しかも低コスト。

 

見返りを期待しようがしまいが、親切は返ってくる。

 

個人とハロウィン

さて、ここまでは「商業施設とハロウィン」だったけれど、個人の家族がハロウィンに参加する意義は?

 

昨日のハロウィンで度肝を抜かれたのは、1体○万円はするであろうコストコでしか売ってなさそうなスゴイ飾り付けを山盛りに重ねているお家。

ハロウィン インテリア 置き物 人形 オブジェ 魔女 2m

ミニマリストの家には絶対になさそうな人形が数体。。。

 

子供や大人が入っていって、怖いxと言いながらうれしそうにお菓子を取ってくる。

 

その横で「Thank you for stopping by(寄ってくれてありがとう)」と声をかける、普段着の外国人パパ。

 

これだけお金をかけてデコレーションして、お菓子を無料配布して、さらに「来てくれてありがとう」って!?と驚き。

 

このあたりに住む人の頭の中に「すごいデコレーションのおうち&お菓子をくれたな」としてインプットされる=防犯的に良いのかな

 

とか、色々考えたけれど、もっとシンプルに「恩送り(ペイ・フォワード)」なのかなと。

 

念の為に説明すると、恩送りやペイ・フォワードとは「誰かから受けた恩や親切を、その人にではなく別の人に送ること」

 

私自身、今回はこんなに親切にしてもらったのだから、他人にも親切にしよう、という気持ちがより一層強くなった。

 

こうしてその地域がより暮らしやすい地域になるのかな、と。

 

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楽しい&暮らしにメリットがあるものは残る。

 

だからハロウィンの伝統は続き、来年も再来年も続いていくのだろうなと。

 

 

さて、次はクリスマス。

【自己決定権】の可能性を示した女性・眞子さま

秋篠宮家の眞子さまがもうすぐご結婚される見通し。

 

テレビでは連日、お相手の小室圭さんの一挙一動がトップニュースで報道される。

 

そんな狂騒はさておき。

 

自分の身体と生き方の【自己決定権】について考えたので書いておきます。

 

※最初に書いておくと、私は眞子さま・小室圭さんの結婚に賛成でも反対でもありません。小室圭さんのことは知らないし、他人の結婚に賛成も反対もないです。すみません。

 

自己決定権

 

小室圭さんとの婚約発表から3年。

 

その後に判明した色々な障壁。

加熱する報道や想像を絶するバッシング。

あらゆる儀式の取りやめ。

結婚式すらあげられない。

親からも社会?からも反対される結婚。

親にも兄弟にも会えなくなる結婚。

 

私が眞子さまなら、結婚を取りやめようかと頭をよぎることも多々あったと思う。

 

が、一方で、婚約を破棄したら・・・

 

すさまじい注目やバッシングを受ける未来が想像される中、眞子さまと新たにお近づきになろうとする男性は早々現れるものでないだろう。

 

つまり、この婚約破棄=(ほぼ)生涯独身。

 

生涯独身であれば、死ぬまで皇室の中に「籠の中の鳥」状態になる未来も見えてしまう。

 

・・・こんなことを考えてしまうので、眞子さまのご結婚は前に進めるのも後に引くのも、相当にしんどいご判断だったとは思うのだけれど。

 

それでもひとまず、ここまでの反対と重圧の中でも「自分が選んだ相手と結婚する」という【自分の人生の自己決定権】を手放さなかったのは相当に強い女性だ、と思う。

 

Control your own destiny or someone else will.

ジャック・ウェルチの言葉「自分の運命は自分でコントロールしろ。さもなくば他人にコントロールされる」。

 

 

 

今回「税金で食わせてやっているのだから結婚に口出す権利がある」という論理をかざす人たちがいて、「誰が食わせてやっていると思ってるんだ」という毒親的な発想だと批判されていたけれど

 

毒親だったり世間だったりに負けずに「自由に生きる」と決めて実行するのもまた、【自己決定権】だと思う。

 

身体に関する自己決定権のない女性

先日、Voicyを聞いていて最高に面白い放送に出会ったのだけれど

 

※シリーズ全部、超面白いので聞いてみて!!常識が全て根底から覆されます。

 

この放送、本当に味わい深くて、1週間経った今も未だに色々考えさせられる。


その一つが、女性の【身体の自由】について。

 

先史時代、妊娠のメカニズムがわかっておらず、女性が1人で妊娠出産(=再生産)するように思われていた。

 

※性交渉から出産まで約10ヶ月もあるから、因果関係が分からなかったらしい。

 

それが、家畜を飼うようになり、交尾→妊娠が結びついているようだと理解し始める。すると、男性が妊娠におけるキーだと考えられるようになる。

 

男性は自分の権力や資産を自分の子に継がせたいと思うようになる。

 

ただ、人類は子供の父親が誰かというのが女性にしか分からないようになっている。男性にとってはそれが恐ろしい。

 

ということで、100%自分の子供を生む女性=処女ということで、父親と婿の間で処女性が重んじられるようになる。処女でない妻は商品価値がないとみなされる。

 

その商品価値が落ちないように父親達が娘達を家に幽閉したとか、或いは売春が神聖視されていた地域では父親が娘を売春婦として神殿に奉納したとか、このシリーズにはすごい話が出てくる(白目)


・・・が、そんな時代から数千年?経った現代。

 

日本ではバイアグラは、副作用による死者も出ていたのに申請から6カ月という異例のスピードでの承認だったのに、経口避妊薬/ピルの承認には44年を要した。

gendai.ismedia.jp

 

今はレイプや避妊の失敗時に必要な緊急避妊薬の承認を巡って女性が声を上げているが、実現は見えない。

 

他にも、父親となる男性が失踪してしまったにも関わらず、男性側の同意がないということで中絶出来ないとか、女性の【身体の自己決定権】は制限されていて、未だに過渡期なんだなと。

 

先史時代から数千年も経っているのに。

 

自己決定権のない家

とはいえ、実は【生き方の自己決定権】の話は必ずしも女性だけとは限らない。

 

皇室に生まれた。

歌舞伎の家に生まれた。

世襲創業家に生まれた。

 

などなど、様々な事情で「継ぐ」以外の選択肢がない人達(今の社会では主に男性)もいる。

 

彼らは【職業選択に関する自己決定権】がない。他の才能や他のやりたいことがあったとしても。

 

生まれた時から「いつか結婚して皇室を出る」というロードマップがあった眞子さま以上に、「継ぐ」以外の選択肢を与えられずに生きてきたのではないだろうか。

 

でも。

 

眞子さまを見習って・・・とは言わないけれど、彼女のように、例え世間から大バッシングを受けて、一見不可能に見えた結婚を実現させたことで、そんな家に生まれた彼ら/彼女らにも【自分の人生を自分で決める】ことも可能だということを示したとも言える。

 

ましてや一般ピープルのワタシたち。

 

ほんの小さなことで「これは~だから私には出来ない」とか言ってる場合じゃないよな。

 

自由を持って生まれてきたのだから、最大限に活かして生きていかなきゃな。

 

なんてことを思ったのでした。